屋根の上の雀山茶花赤くなった

昨日は石鎚山の中腹にある成就社に雪が降った映像が夕方のニュースで流れました。今日は寒いです。1枚目、判りづらいですが屋根に雀が30羽ほどいます。すぐ側には稲を掛けた稲架があり、わらわらと雀たちが飛び込んでいました。山茶花も一斉に咲きだし錦木も真っ赤です。

元気になったポコちゃん風雅見本帳

やはり昨日のことですが月に一度の野暮用を兼ねて松山へ出て、M氏とご一緒に風雅さんのところへ。M氏の奥様が持たせてくださった和菓子はあっと言う間に無くなって取材出来ませんでした。ポコちゃんは耳の手術をすると鼻の近くの爛れも直ったとのことです。すっかりきれいになって元気に吼えていました。

寒いですが「中西良展」に向けて店主はテキパキ準備をしています。


神有月

旧暦の10月1日です。出雲では県民80万人に対し800万の神様(八百万やおよろず)が滞在されるのでお接待もたいへんでしょうね。神様がお留守の処では神無月ですが出雲ではこんなポスターが貼られています。

シルバーハットからスティールハットを望む多面体入り口にはサロンへ降りる机上の眼鏡店主の眼鏡

先週の定休日に大島と大三島に出かけましたが「伊東豊雄建築ミュージアム」に店主は眼鏡を忘れてきました。その事に気が付いたのはぎゃらかわBOX子がHPブログをアップしたときです。画像を見ていたら「みんなの家」の小冊子の上に店主の眼鏡があるではありませんか。えぇ~あそこに置いてきたんだぁー!何方かミュージアムへ行かれたら店主の眼鏡を引き取って来てくれませんか?ミュージアムへは連絡を入れています。


中西良展DM

ギャラリーかわにしHP「展覧会情報」にも載っているように22日から「中西良~木々を想う~」が始まります。案内状の発送手配中です。近々届きます。

土佐日記こんな包装四万十栗あん

午後、高知の「星ヶ丘ヴィレッジ」さんでの個展を終えた「アトリエゆら」の宇野貴美恵さんが見えました。「四万十栗あん」の新しいバージョンの「土佐日記」です。貴美恵さんがギャラリーを出ようとしたときから雷鳴轟き、横殴りの雨です。山は黒い雲に覆われているのに北の空には青空が覗いています。一時して雨は上がりますがまた雷鳴と横殴りの雨。稲光も見ました。竜巻が起こりそうな荒天です。


8月始め8月中旬9月中旬10月下旬こんなにきれいな色引き抜かれたほうき草

風が強く、街路樹の葉が吹き溜まりになっています。我が家も朝毎、落ち葉を掃いています。その箒になるほうき草。ご近所さんところに植えられていたほうき草もとうとう引き抜かれていました。夏のころのきれいな緑色から蘇芳色になるまで愉しませてくれました。すこし頂いて実用にしようかと手にとってみましたが、どうも手に負えないようなのでまた元に戻しました。ただ束ねたらいいだけなのでしょうが…

昨夜は第9回の池西講座がありました。次回第10回の講座は12月8日とお伝えしましたが12月15日に変更になりました。次回は「やきものの真贋について」の講座です。


うっとうしい雨時折突風が献血会場

西日本は荒れ模様です。JR予讃線も強風のため一時運行を見合わせた箇所がありました。午前中は西条農業高校の産業祭での献血の手伝いに出かけました。例年なら大勢の人が訪れる産業祭ですが天候が悪いのでまるっきり少ないです。

このお二人

今日は18日投票の西条市長選の告示日でもあります。

銀座黒田陶苑店構え案内板

銀座の「黒田陶苑」さんでは「安倍安人展」が始まっています。千葉特派員からの画像です。15日(木)まで。

炎芸術安倍安人さんのページ

11月2日発売の「炎芸術」は「日本陶芸を代表する50人」の特集です。勿論、安倍安人さんも紹介されていますよ。


走り去ったトラマーク隼人瓜など

午前中にお一人、午後にお一人、そして電話の対応で終わった一日です。途中、ダンジリの囃子を流しながら荷台に子供ダンジリを乗せて走っていった車がありました。結婚式にお葬式、コンサートに西条農業高校での産業祭と世間さまでもいろいろあったようです。シーズンは終わったけれど秋の夜長を一杯どうぞとタイガースマークの日本酒。家庭菜園の隼人瓜や柿も届きました。                                                   昨日の夕方は、東京大学史料編纂所の元教授であられた加藤秀幸先生ご夫妻が見えられました。同窓会に出席するのもこれが最後になると思いますと、にこにこ笑いながらおっしゃっていました。何だか寂しいです。

石井 義久さんの作品

10月6日の「池西剛講座」に遠路参加された石井義久さんからご自身の作品が届きました。


懐かしい長い校舎長い廊下すぐ海です

「岩田健 母と子のミュージアム」は昭和60年3月に廃校となった海辺にある宗方小学校の校庭に創られています。

校庭にある鳩のいるエントランス館内館内館内展示風景「しもやけ」大空へ母は

校庭を海に向かって横切り館内に入ります。白い壁面のサークル内に様々な母と子が解き放たれたように在りました。館内に静かに流れているのは岩田健氏に小学生の時分に生徒として育った千住明の作曲、千住真理子の演奏によるものです。サークルの上に拡がる大空高く母と子の歌声が昇っていくようです。


大島から大三島へ渡り「ところミュージアム」の近くに出来た「伊東豊雄建築ミュージアム」と「岩田健 母と子のミュージアム」へ。

ところミュージアム入り口の右側左になる西側には外階段で下りる階段を振り返るとマンズーの枢機卿

大三島神社の方面から手前が「ところミュージアム」ですね。3館共通チケット¥1000がお得です。

この2棟案内板シルバーハットドアから玉川美術館のポスターがシルバーハット内

「ところミュージアム」からすぐ西にあります。伊東豊雄氏の東京都中野区の旧自邸を再生しました。シルバーハット(メタリックな小屋)と呼ばれたこの建物は日本建築学界賞を受けた伊東豊雄の代表作の一つです。この地ではワークショップや図書閲覧に使われています。

海を臨む場所に正面入り口エントレンス伊東豊雄のことば館内はそれぞれの「ことば」

プロムナードを歩いて「スティールハット」棟へ。8つの多面体の組み合わせから成る「スティールハット」。内部の壁面にそれぞれの人格の言葉が書き込まれています。「ことば」より前に住居はありましたね。

吊るされた多面体の中にも家がある外から見ると窓窓机上にはパンフレット類

階段を下りるとサロンになっています。机上には「みんなの家」とタイトルのある小冊子と眼鏡が在りました。

「みんなの家」                                                                 被災地での生活の場をもう少し人間的にもう少し美しく、もう少し居心地良くすることができないか、という思いから「みんなの家」のプロジェクトがスタートしました。 伊東 豊雄

次は「岩田 健 母と子のミュージアム」です。


博物館全景藤田達生先生の著書とパンフ復元された小早船こはやぶね博物館からの能島航空写真の能島今も海を見ている武吉の後姿

暖かな冬の入りです。以前から気になっていた「村上水軍博物館」へ出かけました。平成24年はちょうど来島康親公の没後400年にあたり来島村上氏にスポットを当てた特別展が開催中です。新居浜市ご出身の藤田達生先生の著書「秀吉と海賊大名・海から見た戦国終焉」を読んだばかりなのです。村上水軍といえば能島村上水軍を思いますが近年、古文書調査により来島村上水軍に新しい見解がでてきたようです。関ヶ原合戦後、一族は伊予を離れますが「来島」姓から「久留嶋」に改め血筋を絶やすことなく藩主として幕末を迎えました。「夕焼け小焼け」の作詞者で児童文学者の久留島武彦氏(1874~1960)は、最後の藩主であった久留島通靖の孫にあたります。展示室の最後にはその久留島武彦氏の在りし日の一葉が展示されていました。

画像3枚目の小早船は本年度の現代の名工に選ばれた今治市の船大工、渡邊忠一さんの手になるものです。タイミングよく今夜のニュースで知りました!

バリィさん!

村上水軍博物館にゆるキャラで人気のバリィさんを描いた車が止まっていました。


矢原繁長さん「封印」「封印」画廊らしく

日中は上着も着ないで外に出られ今日は凌ぎやすいです。荷物を一つ出して昼時に出かけたあとはメールの返事や調べものをして一日がおわりました。ギャラリーには先日のインタビュー時に矢原繁長さんが展示した矢原さんの「封印」をそのまま掛けています。

     燈火親しもの影のみな智慧もつごと    宮津 昭彦