「印象派の誕生」開展式後「アリエッティ・種田陽平展」も開催中

昨日です。八面六臂とはいいませんが午後早くギャラリーを出て県美での開展式、県美2Fでは「谷晶子展」、いよてつ高島屋での「曽根茂展」、風雅さんには額装を頼みその間、届いたばかりの「古茂田美津子・杏子二人展」のDMを知り合いに手渡してPRも怠り無く動きました。夕方のラッシュに入りギャラリーかわにしに帰ってきたのは7時を回っていました。普段は滅多に欲しいと思わないビールが昨夜は美味しかったです。

「谷晶子展」「曽根茂展」「古茂田美津子・杏子二人展」

開展式の前に出向いた県美術館新館2Fでの「谷晶子展」は4日から19日まで。いよてつ高島屋では千葉の「ホキ美術館」にも収蔵された曽根茂氏の作品展で7日まで開催中です。


紫花白花

ホタルが出てきたのに我が家のホタルブクロはなかなか咲きません。よそ様の庭のホタルブクロは早々に咲いているのになぁ~と思っていたら隅っこの方で咲き出しました。

緑っぽい花

ギャラリーの裏庭では白色や鴇色の花が終り緑っぽい黄色の花を付けたシランが咲いています。池西剛さんの備前柑子口花入に挿しました!                                                           今日は蒸し暑く蚊が一変に出てきたようでギャラリー内で刺されるしまつです。店主はただいま松山から小松インターにやっと辿り着きました。


実山椒らっきょう漬けいろいろ

奈良のIさんからラッキョウの2便めです。その中に青い山椒の実も入れておいてくれました。

蹲の下のかたばみムラサキカタバミの群生

ギャラリー前に設置している蹲の下に可憐な花が咲いています。ムラサキカタバミです。そもそも園芸用に日本へ来た植物ですが何処へでも侵入し、今では庭の嫌われものになっています。よく見ると可愛いのですがねぇ~


ちょっと撮影をしましたT氏が帰られたあと

今にも降りそうで降らない空模様で、今日の衆院での内閣不信任案提出のようなうっとうしい天気です。精勤賞を出したいくらいに顔を見せてくれるT氏がこんな天気は頭もうっとうしいと言いながら帰られたところです。

ホタル

昨夜遅く今日の日付に変わるころ我が家の庭に来た1匹のホタルです。


家の前の池家の横にある神社への石段ニワゼキショウ

11月に油絵での新しい試みで「越智紀久張展」の予定です。制作も進んでいるようなので一度アトリエへおじゃまする約束をしていました。

窓からいい風いい具合にすすんでおられます談笑

窓からいろんな鳥の鳴き声が入ってくるアトリエです。

吉田町の図書館

以前から写したいなぁと思っていた吉田町の図書館です。ちょうど信号待ちで止まったところでいいタイミングでした。帰ってくると家の近くの麦畑は刈り取りが終っていました。今日から6月です。


麦秋ツンツンとむぎわらいろ

愛媛県は全国でも有数の裸麦の生産地になっています。西条市でも先日から晴れ間をぬって麦刈りが始まっていますが我が家の近くの麦畑はこれからのようですね。麦秋が終れば稲の季節です。東北の穀倉地帯を思います。


古茂田公雄 「面河」定番 タンポポに蝶

入梅後は台風の雨となり気温も下がっていましたがやっと青空が見えました。各地で少なからず被害がでた台風2号でしたが雨のあとの山は気持ちのいい緑です。梅雨の晴れ間です。


雨水雨粒

5月に台風が日本列島に接近するのは珍しいようですが昨夜からの大雨そして大雨警報で今日は一日中雨です。雨が続くとすこしウンザリしますが少なくなっていた黒瀬ダム湖の水量がこれで増えるでしょう。羽田から関空経由で韓国へ入る予定の人が関空に着陸出来なくて羽田へ引き返してきたそうです。やはり台風の風は侮れません。


土付きらっきょう水を掛けて洗うとこうなるこれで漬けます

奈良のIさん、しばらく連絡ないしどうしてるかなぁ~TELしてみようと思っていたら当のIさんから 「らっきょうは要りませんか?」と言ってきました。ウチノカミサンに尋ねると「要るぅ~!」と呻るような返事。土付きのラッキョウや柔らかい人参葉を時期には出していたアーケード街の八百屋さんが閉めてしまい手に入り難くなっています。早速、玉葱とともに送ってくださいました。血圧が高いのに一向に酒量が減らない店主にらっきょうは良いようです。

ピザ小屋

ところでIさんの近況を尋ねると耐火レンガを手配してピザ窯をご自身で造るべく準備中だそうです。ピザ用の香草や野菜も畑で作り今は電気配線中とか…Iさんが電気配線をされるとは考えられないけどなぁ…大丈夫かなぁ


こんな表紙ですこんな具合に載っています敷島さん

敷島さんから予告をいただいていました。25日発売の「四国旅マガジンGaja」は「新八十八ヵ所札所めぐり」の特別編集です。例のオレンジの作務衣姿で掲載されていました。文中には伊予西条、伊予西条と出てきます。店主は四国に住んでいても廻ったことがありませんが四国遍路の見易い手引書にもなっています。