蔦紫陽花
入り口にある掛け花入れです。蔦と紫陽花で雰囲気が違ってきます。
山アジサイホタルブクロ
山アジサイとホタルブクロと。
こんなにしてもいいかな?蔦を絡ませて
挿すもの置くもので変わりますね。
業界の話題など
遠藤さんの後輩になる同業の方たち。いろいろ話が広がります。
酒器のいろいろ
少雨の梅雨ですが今日はすこし雨が降りました。庭木の水遣りを心配されていた方がほっとされていました。


手作りです中身も濃い!
山を越えて懐かしい方が見えました。高知のYさんはリタイアされて高知へ帰られるときも立ち寄ってくださいました。高知の歴史や文化を取材されて誰のためでもないご自分の為だけの小冊子をプリンターで作られています。
蓮の皿蓮の輪切りの蓋が付いている蓮の蓋置き
今回、遠藤さんは蓮をモチーフにした作品を出されています。蓮の蚊遣りはお客様が持って帰られたので画像がありませんが楽しいものがあります。
急須とそばちょこ
さまざまな食器


蛍袋ガーベラ
青白磁の掛花、置くこともできます。白と紫のホタルブクロ、大家さんが裏庭に植えているガーベラを挿しました。
祭器何を置きますか?
青磁の祭器、すっきりと綺麗です。そのままでも存在感がありますが何かを乗せることもできます。
角皿など箸置きなど
遠藤さんの食器、何を盛ろうか浮き浮きしますね。
夏雲
入道雲になりそこないの雲が出ていました。雨の降らない梅雨です。


背中にハートネット取材中
ハートネットさんの取材です。じっくり撮ってくださいました。7日あるいは8日に放映予定です。
キキョウソウ面取り一輪挿し
ギャラリーの裏にこんな野草の可憐な花が咲いていました。普通ならすっと上に伸びているのですが、他の野草を掻き分けるように伸びて節のところから曲がっているものがあります。その様が面白いので遠藤さんの小さな一輪挿しに一本づつ挿しました。
「キキョウソウ」 節のところに下から上に次々と咲いていくので別名「ダンダンキキョウ」ともいわれる北米原産の野草です。我が家にもあっという間に増えています。
愉しいアイテムヴェース
遠藤裕人さんの「白磁」の器たちです。


適当な大きさに切る掛花入れにガーベラ
午前中は家の片づけをして午後からごぞごぞ仕事でギャラリーへ来ています。明日からの「遠藤裕人展」にあわせて常とは違った準備がいります。包装用の薄紙や紙バックも用意して、ついでに急ぎの郵便物も出して店主は野暮用で出ます。その間ぎゃらかわBOX子もお仕事です。店主、朝起きてからぎっくり腰気味で何をするにも不自由です。あっ痛たたたたたたぁ~といった具合。
ひつじ草紫陽花
「わんこそばもどき」のMさんから季の花便りです。睡蓮と紫陽花。店主だって初蛍を見ましたよ!


こんなコンテナ展示中張り紙をして
お昼前に遠藤さんたちが搬入にみえました。コンテナから作品を出した後、お昼に出ました。店主は昼前から野暮用で出かけていたのでウチノカミサンは張り紙をして出ます。
遠藤さん展示中店主の好きそうな盃
お昼から帰廊して展示します。お二人でテキパキ並べていきます。店主も帰ってきて最終の展示を手伝います。明日は定休日です。遠藤さんたちも搬入を済ませたので明日はゆっくりしますと帰っていかれました。
続いて「遠藤裕人展」になりますが梅雨の鬱陶しさを忘れるような清々しい遠藤さんの器たちです。
ご来廊お待ちしております。
水を薄く張って


がらんどうにしますウルビーノ風景

2003年3月 ウルビーノでKAUS発足

 『ウルビーノは世界各地から訪れる芸術家をつねに歓迎してきました。文化面のみならず、日常生活の面でもウルビーノの人々は来訪者たちが持っていた能力から学び、栄養を受け取り、一方訪れた人々は街から類まれな調和と均衡を受け取ったのです。
 ウルビーノでの敬史郎の存在も、ウルビーノの人々の生活に何らかの印を残しています。彼は人間的、芸術的な点で、多くのことを学び、また彼の芸術のファンのみならず、旅の友人たちにも多くのことを与えてくれました。敬史郎一家のウルビーノ滞在は、海外からの芸術家とウルビーノとの友情の、シンプルで意味深い例といえます。それが、今回当地で新たに立ち上げた組織の名前を敬史郎に捧げようと考えた動機です。KAUS(Keishiro Arte UrbinoScuoa-ケイシロウ・アルテ協会・カウス)
 国内外で、主にエッチングに焦点をあてた教育交流活動、展覧会活動を展開することを目的にしています。それを通じて私たちの街ウルビーノが、創作版画の分野および視覚美術の各分野での自己形成を望む人にとって基点となりうる街でありたいと願っています。』

   「半田敬史郎作品集」運命についての好奇心ーKAUSの発足に当たってーより ジュリアーノ・サンティーニ

ヒチダンカ早速に山椒の実だけでなくいろいろ
6日からの「遠藤裕人展」の搬入が明日になっているので「半田敬史郎展」の余韻のなかギャラリー内を片付けます。戸田さんが同じアジサイでも土の成分でこんなに色が違ういい例と見せてくれました。一枝づついただき早速李朝棚に遠藤裕人さんのコップに挿し、半田敬史郎さんの「鳥の棲む森」を掛けます。
奈良のIさんが今年も山椒の実を送ってくれました。きれいに小枝を取り除いています。小梅や野菜も入れてくださいました。

2004年の6月3日からこの「ぎゃらかわBOX」は始まりました。その日は梅雨の晴れ間の青空が拡がっていました。「念願のHP、六月の風に乗って遠くまで届きますように!」果たして遠くまで届いているでしょうか?


今日も松山から半田正子さん解説中
梅雨空のなか最終日のこともあって遠くからも来廊くださいます。「半田敬史郎展」に今日で3回目になるNさんも傘を差してお見えになりました。オチキクハルさんから是非観ておいたらいいよと勧められて初めて来廊された方もいます。

犠牲の丘

「犠牲の丘」

彼は何故みずからあの丘にのぼっていったのか
そのことが長い間の疑問だった
裏切りも咎もあざけりの茨も 流された血さえも
あらかじめ予定されていたことにすぎないのだから

けれどボクは一瞬だが
彼の視線が予言された光の王国をはるかに越えていくのを
見たような気がしたのだ

そのまなざしの底深く
光と闇が手を携えてめぐりくるざわめきの世界を
見たような気がしたのだ

      「とまどう風景」より 半田敬史郎

森の変容
半田敬史郎は山形の森に還っていきました。ドイツの黒い森ではなく木々の間から空や雑木の枝葉が透ける半田敬史郎のふるさとの原風景である山形の森です。

「家族の風景」のうち
そろそろ7時です。「半田敬史郎展」今までとは違ったお客様の層でした。来廊された方が友人知人に勧めてくださるといったパターンでした。若い方たちにも観ていただき嬉しかったです。知的高揚のなかで「半田敬史郎展」終えます。今回もご来廊ありがとうございました!


半田正子さん解説中鑑賞中展示風景
半田正子さんは水彩画教室を持たれています。その生徒さんも来廊されます。
浅草・銀次親分ヤマアジサイ
通りがかりのご婦人が入ってこられました。羽織っておられる夏のジャケットがまた素敵で正子さんと褒めました。西条にご縁のある方で散歩がてら歩いていると画廊があったとのこと。実は私も浅草で画廊をしていますと名刺を頂きました。
最後の版画「酔いどれ」鉛筆デッサン
2000年半田敬史郎は日本アンデパンダン展、イタリア・マッサロンバンダ市での4人展、ドイツ・フュルト市の平和美術展などに出品。9月29日エッチング作品「酔いどれ」を刷り上げて10月2日に入院、造血肝細胞移植を目標においた化学療法を始めました。しかし、新世紀まで2日という12月30日、肺炎による呼吸不全で永眠。49歳でした。
「光りとともに」2000年制作アクリル画の線
晩年に多く描いたアクリル・コラージュは一見、布目に見えますが0号の面相筆を遣いフリーハンドで引いています。不安と痛みを忘れるためであったかもしれません。
梅雨らしく降ったり止んだりの一日でした。


それぞれの感想ウィンドの「バベルの塔Ⅰ」を観ています
梅雨の晴れ間の予報でしたが厚い雲がありお日様が見えません。半田正子さんのフアンの方たちが来廊されます。
宇宙のカーニバルⅢ
山形に帰った半田敬史郎は1998年から2000年にかけてアクリル・コラージュ混合技法による板絵を精力的に制作しています。
「とまどう風景展」図録と「家族の風景」
1999年48歳の半田敬史郎は5月に病気が再発し入院、再び放射線治療をうけます。7月、家族でウルビーノを再訪、9月の正子との二人展「とまどう風景」展の準備などして帰国後入院し11月まで化学療法をおこないました。

1999年9月ウルビーノでしかもラファエロの生家での展覧会を開催できるということは、私達二人にとって望外の喜びです。と「とまどう風景」展の挨拶にありました。また、半田敬史郎は「家族の風景」の作品によせて書いています。

『「家族の風景」 ボクは病を得た。朝目覚めるたびに、夢にとって替わってこの身に押し入ってくる、それは出来れば一刻も早く逃れ去りたい辛い現実であった。ところが時折、自分の置かれている現実が、自分のものでない、まるで他人事のようなめまいにも似た奇妙な気分になることがあった。はたして自分にとって現実とはなにか、最近そのことの意味を考える。生きてある現実。それはなによりも自分自身であり、自分をとりまく社会であるのだが、問題はその接点にあるのだろう。そしてその接点にあるものがボクにとっては家族であった。
これが家族の風景を描こうと思った理由である。』