半田敬史郎展

それぞれの感想ウィンドの「バベルの塔Ⅰ」を観ています
梅雨の晴れ間の予報でしたが厚い雲がありお日様が見えません。半田正子さんのフアンの方たちが来廊されます。
宇宙のカーニバルⅢ
山形に帰った半田敬史郎は1998年から2000年にかけてアクリル・コラージュ混合技法による板絵を精力的に制作しています。
「とまどう風景展」図録と「家族の風景」
1999年48歳の半田敬史郎は5月に病気が再発し入院、再び放射線治療をうけます。7月、家族でウルビーノを再訪、9月の正子との二人展「とまどう風景」展の準備などして帰国後入院し11月まで化学療法をおこないました。

1999年9月ウルビーノでしかもラファエロの生家での展覧会を開催できるということは、私達二人にとって望外の喜びです。と「とまどう風景」展の挨拶にありました。また、半田敬史郎は「家族の風景」の作品によせて書いています。

『「家族の風景」 ボクは病を得た。朝目覚めるたびに、夢にとって替わってこの身に押し入ってくる、それは出来れば一刻も早く逃れ去りたい辛い現実であった。ところが時折、自分の置かれている現実が、自分のものでない、まるで他人事のようなめまいにも似た奇妙な気分になることがあった。はたして自分にとって現実とはなにか、最近そのことの意味を考える。生きてある現実。それはなによりも自分自身であり、自分をとりまく社会であるのだが、問題はその接点にあるのだろう。そしてその接点にあるものがボクにとっては家族であった。
これが家族の風景を描こうと思った理由である。』