百子にとって、安藤は世の中で唯一の人で喜んで命をも投げ出すことの出来る相手だった。
命を投げ出す覚悟であればいかなる苦難でも乗り越えられるだろうと思い、申し込みを受けることになるが、それでも、一家の生計の全てを自分に任 […]…


百子は安藤が八幡市で教師をしていた頃弟子になり、毎年、夏と冬に京都から彼の元へ指導を受けに熱心に通い、崇敬と思慕の念を深めていた。
百子の彼の才能に対する思い入れはすさまじく心酔しきっていた。そのため彼を一流以上の画家 […]…


15年の教師生活に区切りをつけ、絵を描くことに専念するため朝鮮へ行く。というのも朝鮮の釜山で楽器商を営んでいた両親の生活にゆとりができかけていたからである。
一男一女が生まれ5人家族になる。父が作ってくれた特別天井の高 […]…


中学校教師の安月給で妹の学資を見るのは、想像以上にたいへんなことで、いくら生活をきりつめても足りなく、この時代は人として最低の生活を送っていたようだ。
しかし、絵を描くことだけは続けていて、頼まれて描いた絵の謝礼が臨時 […]…


美校卒業後、徳島中学で教鞭をとるが、一年後、小林万吾の招きで東京へ帰り美校の研究科へ入り、ここで伊原宇三郎を教え、以後深い親交が続くことになる。
大正二年11月、九州の八女中学校に赴任。ここから彼の苦難の路が始まる。豪 […]…