月に一度の野暮用を済ませ今日も風雅さんところへ。先日預けた額の件やマットの入れ替え額など。風雅さんところの午後の仕事はラジオ第二体操をして始めます。カメラ目線がいかんと、ぎゃらかわBOX子に注意を受けました。
松山からの帰途、高知道の大豊と南国の間は霧のため通行止めの表示が出ていました。大雨であったり霧であったり高知は山一つ隔てただけで大きく天候が違います。愛媛は石鎚山のお陰です!
今朝、ホタルブクロが咲いているのに気が付きました。蛍便りも届くころです。
「わんこそばもどき」のMさんからも季節の花便りです。
宮島明さんから羽田空港限定のお土産。早々の入梅で降ったり止んだりの一日です。ワールズエンドカフェの夏田さんのフェイスブックを見て来廊される方は皆さんお若いです。若い方に観ていただきたいですね。
お一人で来廊された半田正子さんの若いお知り合いの方がいました。ギャラリーの正面に掛けている「バベルの塔Ⅵ」の前に立って観ておられましたが突然深い思いが込み上げてきたようです。涙が止まらなくなりました。暫く椅子に掛けてお気持ちを静めてからまたゆっくり絵と向かい合いました。卓に置いてある作品集も手に取られてお茶も飲まれて「半田敬史郎展」を観てくださいました。
明日は定休で休みですが30日木曜日からも「半田敬史郎展」続いています。
すこし気温が下がったかなと思いますがこの季節にしてはやっぱり暑い!スポットも点けているのでギャラリー内は暑いです。「彩西」を見て来ましたと来廊された方は半田正子さんの姉妹と同級生の方でした。親御さんの介護で東京から帰省中とのこと。こういう事情の方が多くなりましたね。そして山形から半田敬史郎氏のご兄弟から花束が届きました。正子さんのご友人Mさんからは手作りケーキが届きみんなで頂ました。
1996年、半田敬史郎は精力的に制作をしてオーストリア、ドイツ、南仏と旅にでています。ドイツの黒い森を見て回り「やっぱり深い森はボクの心の中にあるようだ」と日記に書きました。ミュンヘン州立近代美術館でエルンストに感動。「ボクの目指すものは間違っていない」 しかしパリ市内では体調が優れず、のどの痛みと発熱が続いたのでした。 2枚ともこの年の作品です。
日曜日の今日は何かと催しがあり来廊される方は次々ハシゴをされているようです。見せてくださいと入ってこられた若い方がいました。初めてお見かけする方です。「彩西」をご覧になられたのかと思い尋ねてみました。その方は西条で研修があり徳島から来られたのでした。ギャラリーかわにしでの「半田敬史郎展」を観たとフェイスブックに出ていてギャラリーかわにしを知ったそうです。近くだから寄ってみようと来られたのでした。う~ん!フェイスブックの拡がりはすごい!
1995年半田敬史郎44歳。この年の6月、ブルーノ・チェーチ氏の強い要請でトラザンニ教会前の野外彫刻コレクションに参加しました。作品は「イル・テンポ」(時間) 半田正子さんは彫刻の真ん中に植えたオリーヴが大きく育つのを楽しみにされています。
きのうの夕刻に見えられたアントネッラさんです。「いよせき21」の今年度の招待作家である石彫作家アントネッラさんはイタリアから来られました。半田敬史郎さんと共にウルビーノに滞在されていた正子さんはアントネッラさんと会話ができます。何度かお会いしていたお二人なので26日には日本を離れるアントネッラさんとの記念写真です。
1951年山形市本沢の農家に半田敬史郎は生まれました。1970年山形工業高校卒業後、北辰電機㈱(東京都大田区)に就職します。職場のサークルで絵を描き始めたのでした。1973年には国学院大学文学部二部に入学、詩の同人誌「詩とにんげんの村」に参加し作品を発表しています。国学院大学文学部を卒業した年に「詩とにんげんの村」を退会、日本美術会付属研究所「民美」第6期に入所しています。1983年32歳、約10年に渡り労働争議をたたかってきた北辰電機労組の前面勝利を得てこの期に北辰電機を退職しています。翌1984年33歳、社会厚生施設「元木寮」(東京都)の指導員として就職しました。そのころ平和美術展に出品したのが「夏の午後」です。昨日の「ザリガニをつる子」もこの年に描いています。
「半田敬史郎展」動画、ユーチュブに出しました。撮りかたのへたくそな店主ですが雰囲気だけでも観てください。ズームの音が出ていてふきだして笑ってしまったという視聴者の方もいたようです。