どうしようかと思いましたがフェリーが動いているので出かけました。
本島港から西に出るとすぐの道沿いに岩田草平Xプロマイノリティがあります。インドの家を模したようです。「瀬戸内国際芸術際2013春」の公式ガイドブックには記載されていませんが本島のエリアマップには出ていました。秋シーズン開催ぎりぎりまで掛かったそうです。
そのまま西へ移動すると「シーボルトガーデン」への案内が出てきます。
環境アートを制作するカリンとその夫でビデオアーティストのパットの「シーボルトガーデン」です。日本の種子や植物をオランダに持ち帰ったシーボルトは瀬戸内海の多島美をも国外に知らしめたのでした。
沙のような薄い布を透してスクリーンに映し出された船です。
もと来た路を下りてきてなおも西へと進みます。右手には本島神社があります。村尾かずこ氏の鏝絵(こてえ)を吊るしていました。
来迎寺の海の見える部屋では本間純氏の「耳鳴り」見えない彫刻です。敷いた畳に添わすようにある彫刻です。
本島は古くから水軍の本拠地で江戸時代の塩飽諸島には自治権が認められていました。また咸臨丸の水夫も多くが本島出身でありました。「咸臨丸渡米150周年記念事業本島実行委員会」のプレートが所々に見受けられます。
「崩壊と再生の中で」森節子氏は50年余り無住であった民家の再生を試みています。
森氏は2011年から本島に通い制作されました。この家には灯す明かりがありません。太陽の光で部屋内を見るのですが今日のように雨だと足元も覚束ないです。
1枚目、窓のガラス越しに見える「五輪の塔」は陸前高田市の木っ端で作られています。島の女性たちの援助を受け庭も整備されました。2枚目、石段も埋もれていてそのときに出てきたとか。島の要らなくなった瓦を敷き詰めました。
予定を大幅に変えて本島から帰ります。この調子で週末まで降り続くのでしょうか?
どうしてもメールではなく手紙を書かなければなりません。一日延ばしにしてこの時を過ぎると間が抜けたことになります。苦吟中のような店主です。
先日の雨の夜、ひょっこり見えられた古い友人がいました。彼のご子息は喜多川泰のペンネームで小説を書かれています。西条の本屋さんに入ると直ぐの棚に「西条出身の喜多川泰コーナー」などと紹介されて平積になっています。随分と人気なんだと聞き及んでいました。そしてこの秋『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』が映画化されロードショーに入っています。
「DANA」秋号に紹介されたからと頂きました。『「ダーナ」とは梵語で「布施」を意味し、慈悲心や情け、思いやりをあらわしています。「競走」の時代から「分かち合い」の時代、そして「利他」の時代へー。「ダーナ」は仏教思想によって時代を牽引する雑誌です。』とありました。「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんも紹介されています。
福島のお土産です。洋ナシでもラ・フランスではなくマルゲリット・マリーラという品種とか。何だかペンギンの赤ちゃんのような風貌です。
台風を考慮してお旅所への出発を午前6時と大幅に遅らせて今日の祭です。お旅所のお仮殿で一泊された神さんは御殿前に出られます。ちょっと出かけました。裁判所前では神さんご一行が待機していました。
西条祭の御殿前に出かけるのは本当に久し振りです。大手門への進入路でみこしが練っていました。
そろそろ神さんに場所を譲ります。
神輿や宮司一行は各部落の神楽所で神楽をあげています。その年に当番に当たった部落の者が行列を担うのですが今は学生さんのアルバイトのようです。宮司さん達も以前は馬に乗っての移動でしたので優雅だったですよ。列の中に見知った人がいて手を振っていました。
神さんが入られるとそろそろ昼の休息になります。各だんじりも昼食を摂ったりしたあと東の玉津部落を経て加茂川での川入、宮入へと巡行します。青空も覗いてどうやら何時もの川入りになりそうですね。