矢原繁長さんから11月22日のシンポジウムのチラシが届いています。愛媛から参加される方はいないと思いますが矢原繁長氏がこんな活動をしていますとアピールするためにチラシを送ることにしました。苦手な宛名書き中です。2枚目、クリックして観てください。
雨が降りそうではないのですがお日様の顔がみえません。水仙が元気につんつん生えています。黄色くなったクロロウバイの葉を突き抜けて元気ですね。
野村 正人氏の「海のテラス」を目指します。長く細い坂道を上って行くと視界が開け「海のテラス」のある石垣になります。
秋の日射しと風の中でイタリアンの食事ができます。この日は臨時便のフェリーが出たほど来島者が多く、どこも賑やかでした。「海のテラス」では橋本 秀幸氏のピアノがBGMで流れていました。橋本 秀幸氏は空間を活かした即興演奏をされています。
「海のテラス」のすぐ横に併設されている「ウミノナカニイル」スペースです。海に向かって八の字に鏡を2枚固定しています。面白い空間になりました。
京都精華大学の教員や学生、卒業生が「高見島プロジェクト」として作品を展開しています。「海のテラス」は立派な石垣の上にある「中塚邸」の庭に設置されています。その「中塚邸」での「高見島へのオマージュ」としたインスタレーションです。
高見島は島民40人になってしまった島です。多島美の瀬戸内海にあって過疎化した島は沢山あります。立派な造りの家屋でも無住になれば瞬く間に蔦や竹、葛に覆われていきます。そんな光景もみました。
屋根の向うに讃岐富士こと飯山が見えていました。
「瀬戸内国際芸術祭2013」は11月4日で終了します。
10月最後の定休日です。瀬戸芸もいよいよ終盤になりました。多度津港から高見島へ渡ります。入港してきたフェリーには西山美なコ氏のキュートなピンクの花模様がありました。今治造船の多度津工場の大きなタンカーを見ながら港を出て行きます。
フェリーが高見港に着くころに見えました。若林 亮氏の「望郷の火」 主を失った瓦などを積み上げて「かがり火」にしています。2枚目、港には小松 敏宏氏の「Sea Room」海水入りのビンを積み上げています。3枚目、青木 亜樹氏の「刻」住居跡に残された古材や生活用品などでモニュメントにしました。
高見港では黄色の大漁旗が出迎えてくれました。多度津町のすべての園児、小中学生たちがそれぞれ名前を書いて作った3000枚もの旗が島内で見られます。
途中、こんな小さな看板があったので石段を上がると二匹の子豚がいました。鬼瓦の制作要領で造られていたのです。キリンさんも立ち上がって海をみていました!
中島 伽耶子氏の「うつりかわりの家」 空家の壁や天井、板戸に穴を開けアクリル棒を入れ込んでいます。そのアクリルを透して真っ暗な空き家に外の光が入りまるで星空の中にいるようです。
吉野 央子氏の「蛸の家」 瀬戸内漁師の基盤の一つであった蛸壺漁を敬い空き家に妖艶なタコを浮かびあがらせました。
「内田 晴之+小川 文子+田辺 桂」の「除虫菊の家」 高見島は除虫菊栽培で栄えた島です。巨大な蚊取り線香を創り会期中、絶えることなく燃やし続けています。
平地の無い高見島は石段と階段の島です。随分と立派な石垣が見受けられます。
「高見いこいの家」にあるレンタサイクルで島の東側の道を通り板持地区を目指します。8年ほど前に最後の住人が出て行き板持地区は廃村になりました。自転車を置いて石段を上り詰めると門構えの家が出てきます。崩れかけた家の庭はきれいに刈られていますが葛などの植物に覆われていたことでしょう。「板持廃村再生プロジェクト実行部隊」の方々によって廃村の姿を提示しているのです。
西条市でもここ数年で商店街はシャッター通りになり寂しくなりました。人が出て行くのは様々な要因がありますが何時の日か「天空のラピタ」の様になるのではと思ってしまいます。
明日は「海のテラス」を中心に載せますね!
どうしようかと思いましたがフェリーが動いているので出かけました。
本島港から西に出るとすぐの道沿いに岩田草平Xプロマイノリティがあります。インドの家を模したようです。「瀬戸内国際芸術際2013春」の公式ガイドブックには記載されていませんが本島のエリアマップには出ていました。秋シーズン開催ぎりぎりまで掛かったそうです。
そのまま西へ移動すると「シーボルトガーデン」への案内が出てきます。
環境アートを制作するカリンとその夫でビデオアーティストのパットの「シーボルトガーデン」です。日本の種子や植物をオランダに持ち帰ったシーボルトは瀬戸内海の多島美をも国外に知らしめたのでした。
沙のような薄い布を透してスクリーンに映し出された船です。
もと来た路を下りてきてなおも西へと進みます。右手には本島神社があります。村尾かずこ氏の鏝絵(こてえ)を吊るしていました。
来迎寺の海の見える部屋では本間純氏の「耳鳴り」見えない彫刻です。敷いた畳に添わすようにある彫刻です。
本島は古くから水軍の本拠地で江戸時代の塩飽諸島には自治権が認められていました。また咸臨丸の水夫も多くが本島出身でありました。「咸臨丸渡米150周年記念事業本島実行委員会」のプレートが所々に見受けられます。
「崩壊と再生の中で」森節子氏は50年余り無住であった民家の再生を試みています。
森氏は2011年から本島に通い制作されました。この家には灯す明かりがありません。太陽の光で部屋内を見るのですが今日のように雨だと足元も覚束ないです。
1枚目、窓のガラス越しに見える「五輪の塔」は陸前高田市の木っ端で作られています。島の女性たちの援助を受け庭も整備されました。2枚目、石段も埋もれていてそのときに出てきたとか。島の要らなくなった瓦を敷き詰めました。
予定を大幅に変えて本島から帰ります。この調子で週末まで降り続くのでしょうか?